白い雰囲気

雑記
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雪が降りました。

 雪が物珍しい関東南部民です。
 9日の雪は結構長い時間、降ったりやんだりを繰り返してました。粒が細かい時が多かった。夕方ぐらいにちょっと強めに降った。
 で、数センチ積もってた。おお……
 ゆきぐもポワルンをゲットしました! 去年はゲットできなかったんだよなー。
 でも1匹だけ。ニアバイに映ってなかったんで出てないのかと思ったw 湧きは渋かったのかな。ゲットできてラッキーだった。
 翌日は溶けた雪で地面が濡れて、ちょっと滑りそうになった。空気が乾燥している……
 今日の雪。粒が大きかった。でも短い時間しか降らなかった。
 寒い……

映画観たよ。

 『劇場版シティーハンター 新宿PRIVATE EYES』。もちろん、聖地・新宿で観ましたよ! 残念ながらTOHOシネマズじゃなくてバルト9でしたけど! でもバルト9にもシティーハンター用ブースがあってよかったな。
 『シティーハンター』は母が大ファンで、原作全巻家に揃ってた。当時小学生の娘(私)相手に、「理想の男性は冴羽様!」と言ってはばからない人でした。別にいいけどさw
 アニメは夕方の再放送を見てたのかな。でもやっぱり何回も繰り返して読んだから原作派です。ミックぅー!
 海坊主の目が見えてたり冴羽さんと香の関係性だったり、原作終了後の話ではないらしい。パンフでも北条先生が「海原登場前」みたいなこと言ってたし。どこかで読んだけど、これはアニメの続きだっけ? 原作から派生したパラレル世界だっけ?
 今回のボス・御国が26歳ってことなんだけど、ってことは今回の香も同じくらいの歳だろうか。原作は律儀に歳とってたと思うんだが、どれぐらい幅があったっけか。
 序盤とか特に、話の駆け足具合・ダイジェスト気味なところはちょっとアレかなーと思ったりしたんだが、もう話より何より「冴羽さんたちが! オリキャスで! 2019年に喋って動いてるぅー!!!!!」で全てをゴリ押しされた。アカンわ……
 そんなわけでメモ書き。ネタバレめっちゃあるよ。

 ・OPEDだけで観た価値がある。冒頭3分で懐かしさと現代にアップデートされた街並みで暴れる冴羽さんと香の2人の姿に泣く。ガッジーラ!
 ・それだけじゃなく、新宿の街並みが色々見覚えあるところばっかりで嬉しかった。バスタ新宿……
 ・LUMINE(LUMINE EST含む)はそのまま出すのに、マルイはダメなのか……
 ・モンストとプレモルがそのまま登場。他にもあったかな。コラボとかスポンサーとか?
 ・冒頭の掲示板の仕組みがハイテクすぎて笑ったw アレ、別にシティーハンター専用でもないんだろうし、一体誰が作ったんだろうか……
 ・「俺を呼んだのは君だろ?」からのもっこり、からのハンマー天誅! キター! 映画化記念2019トンおめでとう!
 ・キャッツアイのペッパーくんこと海小坊主。まさかの犠牲が出るとは思わず。
 ・ゲストの飯豊まりえさん、上手かったと思う。そりゃ本職の声優さんと比べたら全然違うけど、亜衣のキャラクターにも合ってて好き。
 ・キャッツアイのオーナーのキャッツアイ三姉妹に頭が上がらない海坊主と美樹かわいいw
 ・キャッツアイがヘルプ要員に徹してたのは、バランス的によかったと思う。
 ・教授アニメ初登場(らしい)&かずえさん登場おめ! かずえさん登場は嬉しいやで。
 ・これは店の分! これは海小坊主の分!
 ・大塚芳忠をあっさり殺す山寺宏一、という図に趣を感じ、ます。
 ・香が冴羽さんの作戦を読んで動くやつ!!!!!!!!(表現力)
 ・止めて、引く。は健在。伝家の宝刀・Get Wildへの繋ぎ。そして冴羽さんホントあんたそういうとこだよ!!!!!!!!!
 ・EDのアニメ版名シーンリメイクダイジェスト、オシャレすぎてため息しか出ない。
 ・モッコリ
 ・祝掲示板復活。実現する辺り、冴子さんの権力パないw
 ・上映終了後、香の声の変わらなさと冴子さんの作画優遇ぶりを熱く語ってた当時からのファンと思しき人の熱弁ぶりが熱かった。マジで香は当時のまますぎてビビるよなぁ。冴羽さんですら若干変わった気がするのに。
 ・入場者特典の北条先生からのメッセージ色紙は冴羽さん版でした。

 いやもう、よかった。パンフ読んだら皆さんまたこういう形で『シティーハンター』やりたいと仰ってたんで、ぜひ実現してほしい。
 原作もまた読みたくなる。読もう……

 ここから先は、本当に暇な人だけ読んでね!
 

『ROUTE END』最終回と『科捜研』正月SPに見る「理不尽」との向き合い方

 『ROUTE END』が終わった。
 なにそれ、と言われると「ジャンプ+で連載していた作品です」。
 それと先日の『科捜研』正月SPは構造が同じ……というか、「理不尽」への向き合い方が似ているのでは、と思ったので、グダグダ妄想語りです。
 ネタバレめっちゃあるし読みづらかったら申し訳。
 そもそも『ROUTE END』『科捜研』両方追ってる方がこのブログに来る可能性は微粒子レベルだと思うので、誰にも通じない話な気もする。そうだとしたら悲しいw でもしゃーないな。

 第一話リンクです。

 この作品が先日最終回を迎えたわけですが、その終わり方がなんとも不思議な終わり方で、初読時は「なにこれ」って置いていかれてしまった。初めてジャンプ+のコメント欄を見てしまったぐらいです。
 いや正直、私は途中の橘社長の三つ子だの四つ子だののところで若干置いていかれてたしな……
 そしてどうやら橘社長はこの「物語」にメタ的な存在、作中で言うところの「超常的な要素」「神」「妖怪」として差し込まれていたようだ。
 もっと言うなら「神」の前に「機械仕掛けの」をつけた、所謂デウス・エクス・マキナが橘社長。
 そして神である橘社長が因果等とは無縁の「人生など在りはしない」悪である江崎を殺し、エンド事件は幕を閉じる。
 そこから「はじめよう」。最終話タイトルは「始まりの終わり」。
 『ROUTE END』とは身近な命を失った春野たちが傷つきながらも再生していくための物語だった。それを阻む悪が死んだから「ヲワッタゾ」。

 でもこの『ROUTE END』、別に最終回に至るまではファンタジー作品ではなかった。
 現代日本のとある町が舞台の、サスペンス系の作品だった。
 確かに途中で出てきた同じDNAと指紋を持つ三つ子・四つ子なんて存在はファンタジーでしかないと思うが、それにしたって何か現実的なオチがつくのではと、読者の大半はそう思ってたと思う。
 じゃあなんで、『ROUTE END』最終回でいきなり、こんなファンタジー・メタ的な要素が入ってきたのだろうか。

 『ROUTE END』は、様々な形の「喪失」を描いていた。
 孤独死、自殺、殺人、病死……命が失われるところから、癌による部位摘出。
 家族、恋人、恩人。様々な立場の身近な人たちの喪失。
 その心理描写が緻密なところからも、リアルな作風が受けて人気だった。
 でも、最終回では突然突き放される。「これはフィクションだから」と。
 この「物語」に現実が入り込まないように、最後に読者を突き放し現実に返すための装置が橘社長。神として据えられた橘社長は読者を現実に戻して再生、生きることを促す装置なのでは。という解釈を見て、「ああなるほどな」と思うと同時に、「果たしてそれだけだろうか?」と考える。
 『ROUTE END』が描いてきたのは、喪失して取り残された人々の苦しみ、足掻き、叫び、諦め、そして受容。失われたものが戻ることはない。それに対してどうすればいいのか。
 そして、その喪失は「理不尽」なものばかりだ。唐突にやってくるもの、人の理では抗えないもの、様々だけど当事者からすれば「理不尽」としか言えないものばかりだ。
 江崎もまた「理不尽」のひとつで、自身が言うように何も「在りはしない」悪として悩める人々を自殺に導いていく。しかもカウンセリングした全員ではなく、たまたま選ばれてしまった不運な人だけが。これこそまさしく「理不尽」。
 その江崎の相手に差し込まれるのが神である橘社長。デウス・エクス・マキナとして、悪そのものである江崎を殺す。
 という構図そのものが、もしかしたら『ROUTE END』のテーマの表現なのではという気がしたんです。

 江崎はこの現代の中に様々な形で存在する「理不尽」の象徴なのではないか。
 そこに悪意があるときも、ないときもある。
 むしろ人の理が通じないときもある。
 それに負けて飲み込まれてしまう人もいるかもしれない。
 それでも生きてほしいという願いの具現化が橘社長なのではないか。

 最終話直前の回で、春野は江崎の本性に気づく。そしてなんとか江崎を逮捕できないか、制裁できないのかと考える。犯罪者とはいえ弟が関わる問題だから、必死になるのは当然だ。
 だけど、江崎を捕まえることはほぼ不可能だった。江崎は既に自殺幇助の証拠になるカウンセリングの記録を燃やし、証拠隠滅していたから。
 そして最終回。それでもなんとかならないかと躍起になる春野と会った柳女との喫茶店での会話が、『ROUTE END』最終回で私が一番好きなシーン。

「春野さん自身のことを話しませんか?」
「江崎の事は、私たちにはどうしようも出来ないことでしょう?」
「でも結局は、自分の出来ることをやっていくしかない。それだって意外と難しい――」
「見失わないでください。怒りは春野さんを支えてきたかもしれないけど、春野さん自身じゃない」

 江崎は「世の中の理不尽」の象徴。
 春野は、怒りや虚無感を抱えながら理不尽に抗う市民とすれば、割と腑に落ちる気がしました。
 上記のやり取りの中で、向かい合う柳女に春野は「俺はやるぞ。手段は選ばない。これからも自殺に導き続けるかもしれない奴を野放しにしておけない」と言います。
 「手段を選ばない」。その「手段」の中には、自らの命を危険に晒す方法も含まれているんだと思う。それこそ数話前のようにカウンセリングに乗り込んで、自分が自殺に導かれることで自殺幇助を証明するような方法もとったかもしれない。
 でも、それを柳女は止める。
 彼女は加藤という存在を江崎の導きによって失っている。遺された人たちの悲しみも虚無も、どうしようもない憤りも知っている。
 だからこそ春野を止める。ひとりの人間の命が失われることは、そこから波及して様々な人が色々なものを喪失することに繋がるのも知っているから。
 そして、母を自殺で失っている春野も当然そのことを知っている。自殺した母への怒りが春野を大人になるまで支えてきた。けどその怒りが春野自身ではないように、江崎への怒りは弟を助けるために春野を支えるかもしれないが、そのために春野が存在しているわけではない。
 柳女が言うように、江崎のことは少なくとも一般人に過ぎない春野たちがどうにかできるようなことではない。本当に、「理不尽」としか言いようがないけど。
 そんなどうしようもない「理不尽」の存在を知っても、人は生き続けていかなきゃいけない。命を投げ出すことは誰かの大きな喪失になるから。

 それを悟った春野たちに、ご褒美として現れたのが最後の橘社長なのではないか、という話。
 だって現実じゃ、理不尽な出来事に遭遇しても、何かが都合よく助けてくれたりしないじゃないですか。神様なんていないんだから。立ち向かってもボロ負けしたり、たまには勝っても、別の機会ではどうしようもなくて逃げたり、飲み込まれてしまったり。そんなことばかりじゃないですか。
 江崎を「理不尽」の象徴、橘社長を「神様」と置くならば、最終回のオチってつまりは、「神様でもいない限り、現実では理不尽なんてひっくり返せないよ」ってことなんじゃないだろうか。
 一種の傍観ですかね。それでも命を投げ出すことだけはしてほしくない。そんな願いが橘社長なんじゃないかと。
 春野のように、理不尽を倒すことにこだわらなくていい。諦めてもいい。でも生きていてほしい。
 それを『優しさ』と取るか、『妥協』と捉えるかは人それぞれかもしれない。私は前者と取りたいな。

 で、ここからやっとこのブログで普段取り上げてる『科捜研』の話も交わってくるんですが。
 正月SPの感想でも書いてあったんだけど、あの話も様々な形での「理不尽」があったよなぁと思う。
 法の隙間の理不尽、人の命が奪われる理不尽、望む生き方が出来なくなる理不尽。
 理不尽によって負けてねじ曲がった人が犯罪に手を染めてしまったりしたんだけど、土門さんはよりによってその「理不尽」の権化である水野さんのファインプレーによって、理不尽による生き方変更を回避できることになるわけですよ。
 言うなれば、水野さんは『科捜研』正月SPにおけるデウス・エクス・マキナですよね。
 もはや抗いようがなかった理不尽をぶっ飛ばした神様。さすがに世界観的に神様そのものが出てくるわけじゃないけど、水野さんの警察庁へのクレームとかアクロバティック過ぎじゃないですか。
 その装置の存在の良い悪いを語っているのではなく、あくまでそういう構造だよねってことです。

 つまり『ROUTE END』『科捜研』正月SPも、実質「理不尽」への積極的な抵抗は諦めてるわけです。
 無駄とは言い切っていないが、「現実はどうしようもないよ……」みたいな。個では大きな理不尽に抗いきれないという無常で無情な現実。
 でも諦めることが悪いこととも言っていない。
 「どうしようもないなら諦めることもひとつの道じゃないの」と示している気がします。
 たとえ抗うことを諦めても死なないでほしい、自らの内にある正しさを捻じ曲げないでほしい。そういう優しさ・願いがそれぞれにデウス・エクス・マキナを差し込んだんじゃないか。
 理不尽に抗うことそのものに固執しないでも、もっと大切なことがあるよ。そういうことかもしれない。

 ……あれ!?
 なんか『科捜研』成分がすごい少ない!
 『ROUTE END』部分が多い!
 予想というか予定では、もうちょっと『科捜研』正月SPも絡める予定だったんだけどなぁ。なんか正月SPの感想の時点で、結構この話に通じることは書いてたんだよな。
 本当にこれ、「誰に通じるんだよ、誰向けなんだよ」みたいな話ですが、まぁいいや。私が満足できればいいや。
 ここまで読んでくださった方がいらしたら、ありがとうございました。時間つぶしくらいにはなってたら嬉しいです。

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